2012年09月26日

平将門の身内の戦い

遅くなりました。
昨日はおやすみしてしまったので、
本日は、気合いを入れて将門さんの続きをいきます。

無い知恵絞るため、集中します。
またその為、やりかけの仕事や作業を終了させるという余計な事を先にしていたので
書くのも遅くなりました。

一応粗相の無いようにという礼儀からかもしれません。
ちょっと大袈裟です。

平将門が京都から戻り、北総の地の開拓をし、国土の経営を行っていたときでした。
源護、地元の有力者。彼は荘園の拡大を計っていました。の息子が、将門を待ち伏せし、ちょっかいのつもりで
攻撃してしまいました。
調子にのんなよ。と言うつもりだったんでしょう。

将門としては、ふざけんなと言うことで、猛攻げきします。
結果として、源護の息子三人も戦死します。
そして国香、将門の父の一番うえの兄もこの戦いに援軍をだして、返り討ちにあい戦死してしまいます。
国香の子は源護の娘と結婚していたためそちらに付いたと考えられます。
完全なる身内同士の骨肉の争いです。
これを野本合戦といいます。この場所は現在の下妻市の明野町赤浜だそうです。
ちなみに今回は行っていません。

その後、国香は将門に非ありと、京に訴えます。
これにより将門は京都から呼び出しを食らいます。
結局は国香が悪いんじゃない?と言うことで、無罪放免となります。

ま、ここまでは痴話喧嘩みたいな感じです。

その帰りに、貞盛、国香の息子が甲賀あたりで、待ち伏せをしているという噂を耳にします。
こりゃいかん!とういことで、海路を使い名古屋へ上陸して東海道をひた走り、命からがら故郷に戻ることになりました。

image/2012-09-21T00:17:09-2.jpg

ここは平将門の兵馬の調練場だった場所らしいです。
だだっ広い場所を想像していたのですが、石碑以外は何もなく、そうだったのかな?
という感じでした。

取手あたりで産まれて、守谷辺りに居城があり、
その頃国作りに取り掛かっていたのだと思います。
そして、鎌庭という土地に住まいを構えます。

長くなってしまっていますが、次回は将門さんの家族が出てきます。
まだ、身内の争いです。
ちょっと面白味を欠く部分ですかね。
もう少し、お付き合いくださいませ。


posted by まるさん at 01:58| Comment(3) | 管理人日記
この記事へのコメント
まるさんの説明なら歴史を楽しく覚えれそうですねヘ(≧▽≦ヘ)♪
丸政オリジナルの山梨、長野の本なんて?
Posted by ゆづぽん at 2012年09月27日 06:41
これは勉強になりました。
まるさんの解説は分かりやすいです。 
続きを楽しみにしています。
Posted by のび太 at 2012年09月27日 07:04
大したものではないので恥ずかしい限りです。
話したいことと、時間軸の流れが、放っておくと書いていてずれることを発見しました。
小説家のかたなどの凄さを感じます。

本当はこの理由で、こんな行動をした。
だからこうなった。という本当の理由というのが
知りたいところなんですよね。
行動の羅列だと味気ない。
そんなことを気づかされながら書いています。
もう少しお付き合いを宜しくお願いいたします。

Posted by まるさん、 at 2012年09月27日 09:39
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