2011年08月21日

中道口留番所

image/2011-08-20T12:53:48-2.jpg
歴史探訪の番所シリーズです。
やや久しぶりですね。口留め番所は米や雑穀を他領に流れないようにした穀留番所のことを言います。口とは門のようなことでしょうか?出入口のことです。
信州の高嶋藩は享保年間1716年から1735年に七つの番所を設けていました。
四ツ屋村(塩尻峠)、餅屋村(和田峠)、蔦木村(甲州口)、三沢村(伊那小野口)、有賀村(有賀峠)、神宮寺村(枚実峠)、湯川村(大門峠)。
続いて寛延元年1748年口留め番所定書に11か所の口留め番所が出てきます。その中に中道、今回ご紹介の番所が記述されています。
江戸時代の古絵図には、大井が森番所(以前ご紹介したところ)長坂から富士見の葛窪、乙事をへて瀬沢新田までの横道を「中道」と呼んでいました。
番所は天明・天保などの凶作の時期にかなり増設されたようです。
この番所は諏訪郡内でも唯一というほど所在地がはっきりとしていてまた原型をとどめていましたが、昭和48年の道路拡張のため往時の石積は4メートルほど東北へ移されました。
image/2011-08-20T12:53:48-3.jpg

小淵沢から行きますと小淵沢インターを出てすぐ右折します。観音様のラインを上がって行き八ヶ岳アウトレットの方へ信号を左折します。そのままアウトレットを通り過ぎて800メートルくらいで個の番所が出てきます。
山梨県と長野県の境界の場所だったのでしょう。今もほとんど変わりません。

物流がかなり厳しかったようです。
おいしい中華ドットコム

駅弁の丸政オフィシャルサイト
posted by まるさん at 11:48| Comment(2) | 管理人日記
この記事へのコメント
口留番所という言葉が勉強になりました。あちこちにあるのですね。
Posted by のび太 at 2011年08月21日 15:37
口留めなんて言いますとなんだか黙らせられたりとか、秘密めいたかんじがしますよね。
Posted by まるさん at 2011年08月21日 22:47
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: