2011年07月09日

乙事陣場

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ここは徳川軍が布陣したところです。
天正十年(1582年)六月織田信長が本能寺の変で滅亡するやいなや、諏訪頼忠はいち早く旧領の回復をし、自立した。
徳川は服従させようと、乙事村の明主の五味太郎左衛門を使者に立てたが、うまくいかず、そこで、七月下旬 大久保忠世、酒井忠次ら七将に命じて攻略。
一方、北条氏直も信州を支配しようと四万三千の大軍を率いて佐久方面から進撃を開始した。
これを察知した徳川軍三千は乙事まで退いた。
北条軍とあと一里まで迫り両軍が一色触発の状態となる。
太郎左衛門は北条の動静を探り適切な進言をおくり徳川は無傷で新府まで退くことが出来ました。
後に、北条軍は甲斐に入り対陣し、八十余日両軍のにらみ合いが続きました。
その後和議が成立し、十一月に人が解かれる。
北条は上州を、徳川は甲斐と信濃を治める。
諏訪氏も徳川方に服従した。
太郎左衛門はこの功績で家康に召し出され、姓を乙骨と改名し、その後旗本に取り立てられました。

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その場の風景です。八ヶ岳が綺麗です。
こんな場所に戦国武将たちがせめぎあいをしていたのでしょう。

小淵沢の七里岩ラインを富士見町へむかってただひたすらまっすぐに進むと途中に乙事(おっこと)
という地区があります。このあたりに石碑があります。
私は最初お墓かと思っていましたが、史跡の文字があるので近づいてみました。

また歴史発見です。
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posted by まるさん at 20:57| Comment(2) | 管理人日記
この記事へのコメント
読みながら歴史を感じました。
手元の教科書で時代を確認しました。(笑)
昔はこの場所で多くの武将が戦ったのでしょうね。
Posted by のび太 at 2011年07月10日 13:23
私もそんな歴史がこんな近くにあるとは思いませんでした。石碑に織田信長の文字や徳川の文字をみるや えっ!なに?と思いました。この近くにあの宮崎駿さんがたまにお越しとか聞きます。親しいかたから直筆のイラストのコピーを頂きました。近くの井戸尻遺跡の資料館に駿さんの歴史イラスト地図があります。なんであるのか分かりませんでしたがわりとこちらにいらしていることが関係しているのだと思います。井戸尻遺跡もそのうちご紹介します。
Posted by まるさん at 2011年07月10日 23:17
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